お葬式のマナー
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「ご冥福をお祈りします」の使い方
お悔やみの言葉に、「ご冥福をお祈りします」という言葉があります。お通夜やお葬式、また弔電などでもよく使われる言葉ですが、よくよく意味を考えると使う場面を考える必要のある言葉です。
ここでは「ご冥福」の意味と、使う際に気を付けるべきことをご紹介します。
「ご冥福をお祈りします」とは
「ご冥福をお祈りします」とは、お通夜やお葬式の場で使われるお悔やみの言葉です。お通夜やお葬式に参列すればよく耳にしますし、弔電や弔辞などのお悔やみの参考文にもよく使われている言葉です。
この言葉を使う際は、多くの人が「死後の世界でも幸せに暮らせますように」という気持ちを込めて使っていると考えられます。
しかし、「ご冥福」の「冥」に表されている言葉や、死後の世界への考え方によっては、言葉自体が相応しくない場面も多々あります。では、冥とは死後のどのような世界を表しているのでしょうか。次に、「冥」についてご紹介します。
「冥福」の意味
冥福の「冥」とは「冥途・冥土(めいど)」と言われる仏教における死後の世界のことで、「あの世」「黄泉(よみ)」とも呼ばれます。多くの宗教では「死後の世界」があると考えられていますので、「冥福」とは、“死後の世界での幸せ“という意味になります。
こう考えると、“死後の世界での幸せ”を祈ると言う言葉は、お悔やみとして特に問題無いように感じます。
しかし冥途は単なる死後の世界ではなく、“生前の悪事を裁く場所“とする考えがあり、死者の霊は冥途に行き、閻魔大王の裁きを受けるとされています。
昔話などで、「嘘をつくと閻魔大王に舌を抜かれる」といった表現を聞いたことがあるでしょう。薄暗い闇の中で、死者が一人一人順に裁かれて行く場面は子供心には恐ろしく感じるものです。
冥途には「修羅道」「人間道」「天道」の三善道と、「地獄」「餓鬼」「畜生」の三悪道の行く場所があり、生前に善い行いをして入れば三善道へ、悪事を働いていれば三悪道へ送られるのです。
冥途を「悪事を働いていたかどうかを裁く場所」だと考えれば、お悔やみの言葉としてふさわしくないと感じる人もいるでしょう。
また、浄土真宗のように宗派によっては、「死後の裁きの世界」の存在のないものがあります。お葬式が浄土真宗で行われている場合には、やはりお悔やみの言葉として不適切だと言えます。
「ご冥福をお祈りします」が使えない場面
●浄土真宗
浄土真宗は以下の記事でもご紹介している通り、日本にある仏教の13宗派の中でも特徴の多い宗派です。
特に、死後に冥途に送られると考える他の宗派と違って、人が亡くなると同時に阿弥陀様に救われる「往生即成仏」が基本の考え方となっています。
そのお葬式も、仏式の中ではめずらしく般若心経を読まないところが特徴的な宗派です。故人が生前に唱えていた念仏によって既に救いを得られているため、死と同時に成仏し、冥途で閻魔大王に悪事を裁かれることはありません。
そのため、浄土真宗の教徒に「ご冥福をお祈りします」というお悔やみの言葉は不適切だということになります。もし事前に故人が浄土真宗の教徒だと分かっている場合は、避けるようにしましょう。
「キリスト教式」や「神式」のお葬式でも同様に避けたほうが良い言葉です。「冥途」という言葉がそもそも仏教用語であるために、どちらにも「冥途」という発想が無いのが一番の理由です。
●キリスト様式
キリスト教では、死は「生」の最期ではあるものの、天に召されて神のもとで暮らすことができるという意味から喜ばしいものであると考えられているため、「お悔やみ」自体が必要ありません。
●神式
神式では、人が無くなるとその家の守り神になると考えられています。そのため、お葬式は故人を家の守り神として迎え入れる儀式となり、冥界で悪事を裁かれるといった発想はなく、「ご冥福をお祈りします」という言葉が相応しくないということになります。
キリスト教式や神式のお葬式は分かりますが、仏式の場合、宗派まで把握するのは難しいものです。故人の宗派が分からない場合は、「ご冥福をお祈りします」は避け、「ご愁傷さまです」「お悔やみ申し上げます」などの言葉を使うほうが無難でしょう。
お通夜やお葬式に参列する行為は、故人の死を悼む気持ちと、遺族へのお悔やみの気持ちを表しています。せっかくですから、少しでも遺族の気持ちに負担をかけない言葉を選びたいものです。
一般的なお悔やみの言葉は以下でご紹介していますので、参考にしてみて下さい。