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彼岸の意味

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように、彼岸は季節を表す言葉だと思っている人も多いでしょう。しかしそもそも「彼岸」とは彼方にある岸のこと、つまりあちら側の世界という意味で、仏教用語に由来しています。それに対してこちら側の世界、この世は「此岸(しがん)」と言われます。

此岸と彼岸は三途の河によって分けられており、此岸にいる人間たちは修行を積まなければ彼岸へは行けないとされています。

欲や煩悩にまみれたこちら側である此岸を脱し、悟りの世界であるあちら側、つまり彼岸に至るための修行をする期間であるというのが「彼岸」の考え方なのです。

また、「彼岸」に対する考え方は浄土教の影響を多分に受けています。

浄土教でははるか西方に極楽浄土があると説かれていますが、通常、春分の日と秋分の日の日の出は真東、日が沈むのは真西になります。沈んでいく日に向かって拝むと西にあると言われる極楽浄土に向かって拝むことになり、春分の日と秋分の日は此岸と彼岸が最も通じやすくなる日だと考えられていました。

普段は修行を行っていない人でも、この時期は特別に座禅を組んだり、西に沈む太陽に向かって祈りを捧げていたりしたようです。

もともと彼岸とは、皆が悟りを開くために行う仏道修行の期間だったのです。

 

六波羅蜜

この期間は「六波羅蜜(ろくはらみつ・ろっぱらみつ)」と呼ばれる徳を積むことを目指して皆が修行します。六波羅蜜は大乗仏教の教えで、成仏するために生きている間にしなければいけない修行を意味しています。

布施(ふせ)見返りを求めず、人のために施しをすること。

持戒(じかい)本分を忘れず、自らを戒めること。

忍辱(にんじょく)悲しいことやつらいこと、困難にも耐え忍ぶこと。

精進(しょうじん)最善を尽くす不断の努力。良い結果におごらず、向上することをやめないこと。

禅定(ぜんじょう)自分自身を冷静に見つめ、どんな場面でも動揺しないこと。

智慧(ちえ)心理を見極める知恵をえること。自らの怒りや愚痴で真実を見る目を曇らせないこと

修行によってこれらの徳を積むことで、悟りを得る=彼岸に至ることが出来ると考えられているのです。

 

彼岸会について

私たちが日常的に口にしている「お彼岸」という言葉ですが、正式には「彼岸会(ひがんえ)」といい、どちらも同じ意味です。

彼岸会は追善儀礼などを行う仏教行事の一つで、春分の日、秋分の日の前後一週間に行われる法会です。春分の日、秋分の日を「中日(ちゅうにち)」とし、初日を「彼岸の入り」、最終日を「彼岸明け」と言います。

聖徳太子の時代に始まったとも言われていますが、現存する公式な記録では平安時代である西暦806年(延暦25年)に朝廷の太政官が崇道天皇(早良親王)の霊魂を鎮めるために「金剛般若波羅蜜経」を読むように僧らに命じたと記されており、これが日本行事における彼岸会の始まりだとされています。これが今のように一般に広まり年中行事になったのは、江戸時代に入って幕府が仏教を国教に定めたためです。

今では宗派を問わず多くの寺院で仏教行事としての彼岸会の祈祷が行われています。

お彼岸にお墓参りをする理由

さて、お供え物やぼたもちを持ってお墓参りをする年中行事の「お彼岸」は日本独自に発展したものです。

中国には「清明節」といって春分の日から15日目にお墓参りをする年中行事があり、草団子を食べる習慣があることから日本のお彼岸と似た印象を受けますが、仏教に由来する日本のお彼岸とは別のものです。

「悟りの境地へ至るための修行をする期間」という彼岸のそもそもの意味を考えると、なぜ彼岸にお墓参りをするのか不思議に思うかもしれません。

一説には、彼岸に熱心に仏道修行をするという考えと、古くから日本で培われてきた先祖供養の習慣とが混ざって現在のような「彼岸に先祖を供養し、墓参りをする」といった行事に発展したと言われています。

彼岸が最も此岸に近づく日を、「ご先祖様が最も近くに来る日」と考え、彼岸に先祖供養をするようになったのが日本の「お彼岸」なのです。

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