お葬式が終わったら
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事故現場にお花を供える意味
事故や災害で亡くなった人がいる際、お花を供えられているのを目にすることがあります。これにはどのような意味があるのでしょうか。
ここでは、事故現場に供えるお花の意味と、取り扱いについてご紹介いたします。
事故現場へのお参り
人が事故で亡くなる時は突然です。交通事故や溺死、転倒・転落、災害による死亡など、理由は様々ですが、ついさっきまで元気だった家族が突然命を奪われる状況に、遺族は大きな悲しみに襲われます。また、突然命を奪われてしまった人の霊を癒したいと強く願います。
もちろん何の前触れもなく奪われた命を痛ましく思うのは家族だけではありません。こういった理由から事故現場には遺族をはじめ、近隣の住人がお花を供えることがあります。
突然の死に本人が気づかず、まだ生きてると思ってその場をさまよってしまうのではないか?といった心配をする人もいます。この世に霊が彷徨っているのであれば、せめて少しでもその霊を慰めたいと思うのでしょう。このような慰霊の意味も含め、残された人々は様々な思いを胸に、事故現場へ献花に訪れるのです。
前首相の突然の訃報に国中が悲しみに襲われた際にも、事故現場にはたくさんの献花やお供えがされていたのも記憶に新しいところですが、交通事故や自然災害などで命を奪われた人たちのためにも、現場に供えられた献花を目にしたことがあるでしょう。
事故現場へのお参りの宗教的な意味
人が亡くなった場所に霊が留まるかどうかについては、様々な意見があります。宗教的に考えると、仏教では死後十王の裁きを受けて、浄土へ召されるのは49日後とされています。その間は霊がこの世とあの世を彷徨っており、十王の審判を待っています。
現世での行いが善行であれば浄土へ、悪行であれば地獄へ行くと言われていますが、行き先を決める判断には現世での行いだけでなく、遺族が故人の成仏を願って唱える念仏も故人の徳になると考えられています。最後の審判までの間に少しでも徳を積めるように遺族は法要を行うわけですが、事故現場などに供えられる供花はこれとは少し意味が違っています。
また神道では、人は亡くなると家族を見守る先祖神の仲間入りをし、その霊魂は守り神となって家に留まるとされています。こう考えると、事故現場などに供えられる供花に宗教的な意味は無く、慣習的に行われていると言えるでしょう。
献花への思い
故人の成仏を祈るだけでなく、二度と同じような痛ましい事故が起きないよう、またここで事故が起こったことを後々まで伝えるという思いを込めて毎年献花をする人もいます。
2019年に池袋で乗用車が暴走し、親子が命をうしなった事故がありましたが、その事故の悲惨さと共に二度と同じことが起きないようにとの思いを込めて、区が慰霊碑を建立したという例もあります。慰霊碑の建立にあたって豊島区が全国に寄付を呼び掛けたところ、1140万9496円の寄付があつまったということです。誰かの命がある日突然奪われてしまうようなことは、二度と起こってほしくないというのは誰もが願うことでしょう。
献花やお供えには、その思いが込められているのだということです。
献花やお供えの後片付け
交通事故のあった現場にお花が供えてあった場合、公道に私物を置くのは厳密に考えれば違法という事になります。事故現場への献花やお供えに悪意はなく、慣習的に善意を元に行われていることですので、よほど妨げになる場合を除いて違法行為として裁かれることは殆どないでしょう。
遺族や近隣の住人が様々な思いから供える献花ですが、時間が経てば枯れてしまいます。また、お供えものはカラスに荒らされてしまうこともあります。では現場に供えられたお花やお供え物はどのように処理されているのかというと、実は近隣の住民や自治体、見回りの警察官などが処理しているというのが現実で、いずれもボランティアになります。お花だけでなく飲食物が供えられることもありますので、瓶や缶は分別して処理することになります。
中には献花台が置かれることもあります。あまりに多くのお供えがされる場合は、むしろ献花台を設置したほうが安全ということもあるでしょう。役所が対応する場合は税金を使って行うことになり、あまりに多くのお供えがされる場合には自粛を呼びかけることもあるようです。事故があった現場にお供えをする場合は車や人の通行の邪魔にならない場所に供えるのが基本ですが、一定の期間供えた後は片付けるようにすると良いでしょう。