お葬式の豆知識
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極楽浄土とは
仏教に限らず様々な宗教で死後の世界があると考えられており、死後の世界にはいわゆる「天国」と「地獄」があるとされています。生前の行いによって天国に行くか地獄に行くかが決まると言うのは多くの宗教で共通している部分です。
自分の死後に安楽の世界に導かれるか、苦しみを繰り返す世界へ落ちるかと考えれば、誰もが安楽で苦しみの無い世界に行きたいと願うでしょう。私たちが行うお葬式や法要は故人が安楽の世界へ召されることを祈って行う仏事です。ここでは、極楽浄土についてご紹介します。
浄土とは
まずはじめに、「浄土(じょうど)」とは何かについてご紹介しましょう。
浄土とは、仏や菩薩の住む一切の煩悩や汚れの無い清浄な場所のことを言います。従って浄土は一つではなく仏の数だけ存在し、薬師如来の浄瑠璃(じょうるり)浄土やお釈迦様の霊山(りょうぜん)浄土、観音様の補陀落(ふだらく)浄土などがあり、一番有名なのが阿弥陀仏の住む極楽浄土です。
私たちがよく耳にする「極楽浄土」とは、阿弥陀仏のいる清浄な場所ということになります。
浄土の逆でこの世は「穢土(えど)」と言われ、迷いや煩悩から抜けられないものたちの住む穢れた場所だと考えられています。
誰しもが苦悩や煩悩からは逃れて安楽の世界へ行きたい、穢土から離れたいと考えており、この考えを厭離穢土(えんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)と言います。穢土から離れることが厭離穢土、浄土へ行きたいと願うことが欣求浄土です。
極楽浄土
阿弥陀仏の教えでは、「極楽浄土」は苦しみの無い安楽な世界で、仏教書によると「西方十万憶の仏土を過ぎたところ」と記されています。
サンスクリット語では「スカ―ヴァティー」(幸福のある場所)と言います。
阿弥陀仏が悟りを開いたのちに西方十万憶仏土の彼方に浄土を作り、今も人々のために説法をしているのが極楽浄土です。西方にあるとされることから「西方極楽浄土」とも呼ばれます。
極楽浄土は仏教で言うところの天国だと考える人も多いですが、神々の住む天上界である「天国」とは別の場所だとされています。極楽浄土へ導かれた死者の霊は「仏」となり、永遠の幸せを手に入れることができるのです。私たちは死者の霊魂が成仏するように願って仏事を行いますが、「成仏」というのはその言葉のとおり「仏に成る」という意味です。
極楽浄土へ行くためには
では、死後に極楽浄土へ行くためにはどうしたら良いのでしょうか。浄土宗を始めとする大乗仏教では、阿弥陀仏を信じひたすら念仏を唱えれば死後に極楽浄土に導かれると教えています。
悟りを開かなければ仏になれないとする小乗仏教とは違い、大乗仏教は悟りを開く、開かないに関わらず阿弥陀を信じることを重要視し、阿弥陀を信じて熱心に念仏を唱えれば誰しもが極楽浄土へ行けると説いています。
「他力本願」という言葉がありますが、そもそもは自力で悟りを開くのではなく、阿弥陀仏の他力によって救いを得ることを意味しており、浄土教で使われる言葉です。
極楽浄土へ行けない死者の霊
では、極楽浄土へ行けない死者の霊はどこに行くのでしょうか。
人は亡くなると7日ごとに十王の裁きを受け、四十九日後に極楽浄土に行けるかどうかが決まります。そこで残された家族は裁きの日に合わせて法要を行い、故人が極楽浄土へ行けるように祈るのです。これが初七日に始まり四十九日まで繰り返される中陰法要です。最期の裁きにあたる四十九日の法要は「満中陰」と呼ばれ、あの世での行き先が決まる日です。
この世で悪行を繰り返した人間はあの世の最下位にあたる「地獄」へ送られ、苦しみ続けると考えられています。故人が死後の世界でそのような苦しみに合わぬよう、残された家族は故人の成仏を祈るのです。
極楽浄土の教えは浄土4派のみ
さて、この「極楽浄土」は、浄土教の教えに基づいています。そのため、浄土4派である「浄土宗」「浄土真宗」「融通念仏宗」「時宗」以外の宗派では、そもそも「極楽浄土」という概念がありません。
題目には「南無釈迦無尼仏(なむしゃかむにぶつ)」「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」「南無毘盧舎那仏(なむるしゃなぶつ)」などいくつか種類がありますが、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を唱える宗派は浄土系だと覚えると良いでしょう。
ちなみに浄土真宗は浄土4派の一つですが、他の3派と違って人は亡くなると同時に阿弥陀様に救われると考えられています。そのため十王の裁きはなく、中陰の法要も成仏を祈るためのものではなく、故人が成仏し極楽浄土へ召されたことを感謝する儀式として行われています。