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仏教の死生観

仏教の死生観において最も重要な要素は、輪廻転生です。仏教では、死によって魂が肉体を離れて新しい体に生まれ変わり、車輪のように生と死を繰り返していくと考えられています。次の生を受けるとき、前世の行いによってどの世界に生まれるかが決まるというのが基本的な考え方です。

次に生まれる世界には六種類あり、生と死を繰り返していく。それを六道輪廻(ろくどうりんね)と呼びます。仏教の教えでは、人は亡くなってから四十九日間、六道輪廻の間をさまようとされています。六道輪廻はもともとインドの世界観に根差しており、それが仏教の教えとなっています。善行を積むことでより良い生まれ変わりを得ることができ、悪行を犯すと苦しい世界に生まれ変わるとされます。

人が死後に生まれ変わるという概念は多くの宗教に存在しており、仏教に限ったことではありません。しかしこの「六道輪廻」という考え方は、仏教に独自の死生観をもたらしています。

六道輪廻とは

六道輪廻は、人間や動物、餓鬼(がき)、地獄、修羅(しゅら)、天の6つの存在形態が転生し続けるとされています。生前の行いによって次に転生する先が決まります。善行を積むと浄土へ行くことができ、悪行が多ければ餓鬼や地獄に転生するとされます。三善道の中でも修羅は戦い続ける存在で、極度の怨みや欲望を持ちます。また、人に生まれればやはり生前と同じように四苦八苦があります。

では生前の行いは誰によって裁かれるのでしょうか?それは地獄の入り口にいる、十王(じゅうおう)によってです。

 

三善道 苦しみのない、安楽の世界。浄土
人間の世界。生病老死と四苦八苦がある
修羅 欲望と戦いに満ちた世界
三悪道 畜生 牛や馬などの畜生の世界。弱肉強食で、互いに殺傷しあう
餓鬼 飢えと渇きに苦しむ世界。嫉妬と欲望に満ちている
地獄 さまざまな苦しみを受け続ける世界。六道の中でも最も苦しむとされる

 

仏教では、人は亡くなってから四十九日の間十王の裁きを受けるとされています。その裁きは七日に一度行われ、四十九日目は最期の審判の日にあたります。大切な家族が亡くなった後、誰もが苦しみのない、浄土へと旅立ってほしいと願ってやみません。

死後に生前の行いを変えることはできませんが、生前に悪行を重ねた人間でも、七日の裁きごとに遺族が教を唱えて供養を続ければ、その孝徳を死者が受けることができるとされています。そのため、遺族は故人の成仏を願って中陰供養を行うのです。「教」を唱えることそのものが孝徳であると言うのが仏教の考えになりますので、この間は遺族が故人に変わって孝徳を積む期間とも言えます。これが七日ごとに法要を行う理由です。

仏教の死生観とお葬式

日本のお葬式は9割が仏式のため、この仏教の死生観がお葬式の儀式の中に多く盛り込まれています。全ての儀式は故人が無事に三途の河を渡ってあの世へたどり着き、十王の裁きののちに浄土へと召され、苦しみの無い安楽の世界で過ごすことができるようにと願って行われるものです。例えば多くの宗派で行われている「引導」は、故人を浄土に導くために引導を渡す儀式で、火葬の点火を導師が行います。

また、棺に納められる六導銭は、三途の川の渡し賃として、棺の中に遺体と共に入れられるものです。生前に善行を積んでいれば流れの穏やかな場所を渡し舟で安全に渡ることができますが、生前の行いが悪いと流れの急な場所を泳いで渡らなければならなくなり、向こう岸に渡るだけでも大変な苦労をすることになります。

そこで遺族は供養を行うと共に、故人が渡し舟に乗って向こう岸に無事渡れるようにと願って故人に六導銭を持たせるのです。

 

「死」は終わりではない

人が死ぬと、その肉体は朽ちて滅びます。しかし仏教では、魂は未来永劫残ると考えています。生前に悪事を尽くして地獄へ落ちるとすれば、死は破滅の入り口となります。
しかし、そうならないために修行を積み、徳を重ねるのが仏教の教えです。

仏教にとって死は終わりではなく、現世を終えて新たな世界へと旅立つものであり、決して縁起が悪いとか、忌みごとではありません。むしろ、悟りを開くためには必要不可欠であると言って良いでしょう。

こういったことから、日本において人の死を「不幸」と言うのは、仏教の教えによるものではなく、古くからの慣習によるものだと言えます。

次回は、神道の死生観についてご紹介します。

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