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供養の語源

供養の語源は、古代インドの言語である「サンスクリット語」の“プージャー”または“プージャナー”に由来していると言われます。プージャーはヒンドゥー教の礼拝の儀の一つで、賓客をもてなすのと同じように仏や菩薩に香や花、食物などの供え物をして、尊敬と感謝の気持ちを表す時に使われる言葉です。
サンスクリット語は言語としてのみでなく、文学や哲学、学術などの分野で広く用いられた言語です。宗教の分野でも広く用いられ、大乗仏教でも多くの経典がこの言語で記されたと言われています。
今現在日本で使われている「供養」という言葉は、法要などの仏事で亡くなった人の冥福を祈る儀式で多く使われています。追善供養などがそれにあたります。


仏事で使われる事の多い「供養」という言葉

一番耳にする機会が多いのは、「追善供養」でしょう。
追善供養とは、故人が骨となって返ってきたときに行われる還骨法要、四十九日までに7日ごとに行われる中陰供養、また一周忌、三回忌など節目の年に行われる年期法要のことで、一番イメージしやすい供養の一つでしょう。追善供養については、「法要の種類」で詳しくご紹介しています。
しかし、「供養」という言葉自体は儀式を指すのではなく、故人や先祖の冥福を祈る気持ちと行為のことを指します。お墓参りや仏壇へのお供え物、心の中に思い浮かべることなどの全てが「供養」になります。
たとえば「永代供養」や「手元供養」「開眼供養」などは供養の形態と手段を表しています。

三種の供養

仏教には、「三種の供養」と言って「利供養」「敬供養」「行供養」三種類の供養があります。

「利(り)供養」
お供えものなどの物を持って供養することを指します。仏前に食べ物やお花をお供えしたり、お線香をあげたりする行為がそれにあたります。例えば仏壇やお墓に故人の好きだった食べ物やお花を飾ることは利供養にあたります。

「敬(けい)供養」
仏や故人に対する感謝の念や気持ちを言葉や行動に表すことを指します。本尊や仏壇に向かって手を合わせて拝んだり、教を読む行為、禅を組んだりすることなどは敬供養にあたります。
追善供養である一周忌や三回忌などで唱えられる読経は敬供養にあたります。

「行(ぎょう)供養」
自分の行いを持って供養することを行供養と言います。仏法の教えを理解し、仏道を深めること。先祖を敬い、親を大切にしながら日々世の中のためになる行動を通してその教えを実践していくことを行供養と言います。

真の供養とはこの三種の供養の全てを伴うものですが、最も大切なのは「行供養」だと言われています。

様々な場面で行われている供養

このように仏事で触れることの多い「供養」ですが、もともとの語源は神仏に尊敬と感謝の気持ちを表す儀式でした。そのため、仏事以外の場面でもたくさんの供養があります。
日本独自に発展してきた「神道」では、神は唯一無二の存在ではなく、あらゆる場所や物、自然現象にも宿っているとする「八百万(やおよろず)の神」という考えがあります。
そのため、“ご神木”と言われるような樹齢の長い木や“石の神”と言われるような、道を通る人を見守っているように感じられる大きな石などにもお供えをして供養する事もあります。
また同じように「九十九(つくも)神」という考え方があり、長年使っていた道具には霊魂や精霊が宿るという考えがあります。そういった考えから物を処分する時にも「供養」をする習慣があり、人形供養、針供養、筆供養などはその代表的な例です。
長年使ってきた道具を無碍に捨てたがために、恨みをもった道具が妖怪となって人間を戒める昔話などはこういった考えを元にしたものだと言えます。

このように、供養には故人やご先祖様のみでなく、神仏や自然の神羅万象などの広い対象から、自分の生活を支えてくれた道具に至るまで様々な対象があります。
供養の儀式は尊敬と感謝の先にあるものであり、その意味をよく知ると儀式を行うときの想いも変わってくるかもしれません。

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