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風葬とは

風葬(ふうそう)とは、遺体を自然の中にさらし、風雨や動植物などの力によって風化・分解させる葬送の方法です。火葬や土葬と異なり、人の手による埋葬や焼却を行わず、自然の摂理に任せて故人を弔うという考え方に基づいています。曝葬(ばくそう)、空葬(くうそう)とも呼ばれ、人の体を自然に戻すという「自然回帰」の思想に支えられた葬儀形態の一つです。

風葬は、亡くなった人を衣類をつけたまま棺や小屋に入れて洞窟、木の上、崖などの人目につかない場所に安置するのが一般的でした。場所によっては、石を積み上げて囲むことで風葬墓を形成する例も見られます。遺体は自然に風化し、骨だけになった後はそのまま放置されることもあれば、骨を水や酒で洗って別の場所に納める「洗骨(せんこつ)」が行われる場合もあります。

風葬は単なる一回限りの埋葬とは異なり、複数の段階を経て故人を弔う「複葬」としても知られています。人間も自然の一部であるという思想に立脚した風葬は、自然との共生を重視した文化の表れであり、古来より様々な民族や地域で行われてきました。

風葬の由来

風葬の起源は非常に古く、人類が死者を弔うようになった時代から存在すると考えられています。弥生時代の日本やチベット、モンゴルなどの高地や山岳地帯でもその痕跡が見られます。これらの地域では、土を掘ることが難しかったり、木材が不足していたりすることが多く、火葬や土葬といった方法を選ぶのが現実的ではなかったため、風葬が定着しました。

また、風葬は遊牧民族を中心に受け入れられてきた葬法でもあります。遊牧生活を送る人々にとって、死者を埋葬するために土地を確保するのは困難でした。そのため、自然のまま遺体をさらすことで、肉体を地上から消すという方法が生まれました。特にモンゴルのように、移動生活が前提である社会では、故人のために墓地を準備するよりも、風葬の方が合理的であったのです。

宗教的背景も無視できません。例えば、沖縄では「ニライカナイ信仰」と呼ばれる民間信仰が風葬の根底にありました。死者の魂は遠い海の彼方「ニライカナイ」へ戻るとされており、肉体を自然に還すことで魂が円滑に旅立つと考えられていたのです。このように、風葬は地理的・文化的・宗教的要因が絡み合って発展してきた葬送方法といえます。

風葬が行われていた地域

風葬はかつて世界各地で広く行われており、特に自然と共生する文化を持つ地域や、火葬・土葬の設備が整っていなかった場所で一般的でした。北アメリカの先住民族、オーストラリアのアボリジニ、東南アジア、チベット、モンゴルなどがその代表例です。

日本では、風葬は主に沖縄や奄美、または平安時代の京都などで行われてきました。沖縄では特に久高島や久米島といった「神の島」とされる場所において、遺体を人目につかない海岸や洞窟に安置する風葬の風習が見られました。遺体の腐敗が進んだ後に洗骨し、骨壺に収めてお墓に納めるという流れが一般的でした。

京都でも「化野(あだしの)」「鳥辺野(とりべの)」「蓮台野(れんだいの)」の三大葬送地にて、庶民を中心とした風葬が行われていた歴史があります。特に、遺体をそのまま野ざらしにして自然に朽ち果てさせることで「自然に帰る」という思想が貫かれていたのです。

現在でも、インドネシアのバリ島トルニャン村やスラウェシ島のトラジャ族、ボルネオ島のイバン族などでは風葬の文化が細々と残されています。たとえばトルニャン村では、遺体を香木の木陰に安置し、遺体の匂いが木の香りによって中和されるため、風葬による衛生的な問題が起こりにくいとされています。こうした地域では、今なお風葬が文化の一部として大切に受け継がれているのです。

なぜ風葬は廃止されたのか?

風葬が廃止されていった背景には、いくつかの理由があります。第一に挙げられるのが、衛生上の問題です。風雨にさらされた遺体が腐敗していく過程では、悪臭や病原菌の発生が懸念されます。近代以降、衛生観念が広まる中で、風葬は不衛生な方法とみなされるようになり、保健所などの指導によって徐々に廃止へと向かいました。

また、女性の地位向上も風葬の終焉に影響を与えました。特に沖縄では洗骨が女性の役割とされていたため、戦後の女性解放運動の中で「洗骨の廃止運動」や「火葬場設置運動」が起こりました。これにより、女性の負担を軽減するための見直しが進み、結果として風葬という形式そのものが見直されていったのです。

さらに、社会全体の近代化と法制度の整備も無視できません。明治時代には全国的に火葬が推奨され、土葬や風葬は次第に時代遅れとされていきました。都市部を中心に火葬場が整備されると、風葬を続ける必要性が薄れていったのです。加えて、宗教観や民間信仰の変化も影響しました。自然回帰の思想を背景にしていた風葬でしたが、民間信仰の衰退に伴って、その必要性や信憑性が薄れ、徐々に行われなくなっていきました。

現在では、日本において風葬が行われている地域はごくわずかとなり、竹富町や与那国町などの一部離島で伝統的な形が残されている程度です。それでも、風葬という文化は現代の樹木葬や自然葬といった形に影響を与えており、人と自然とのつながりを考えるうえでの大切な手がかりとなっています。

 

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