お葬式の豆知識
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骨上げとは
骨上げは、火葬後に行われる作法のひとつです。ひとえに骨上げといっても、地域によって様々な違いがあります。ここでは、骨上げの意味と地域ごとの作法をご紹介します。
骨上げとは
骨上げ(ほねあげ、こつあげ)とは、火葬を行った後に箸を使って遺骨を拾い、骨壺に納める儀式のことです。収骨(しゅうこつ)とも呼ばれます。
人は亡くなると、三途の河(さんずのかわ)を渡って極楽浄土へ向かうと言われていますが、三途の河はこの世とあの世を隔てる境界線です。誰しもが安全に向こう岸に渡れるわけではなく、生前の行いによって渡る瀬が異なります。生前に善行を積んでいれば流れの穏やかな場所を渡し舟で安全に渡ることができますが、生前の行いが悪いと流れの急な場所を泳いで渡らなければならなくなり、あの世に渡るだけでも大変な苦労をすることになります。
故人が無事に三途の川を渡ることが出来るよう、橋渡しをするという想いが、箸で故人の骨を拾うという儀式に込められています。
中国や韓国でも日本と同じように箸を使いますが、火葬後の骨上げの儀式は見られなく、骨上げは日本独自の儀式となっています。
これが儀式としていつ始まったのかは、はっきりしていません。しかし他国では見られない儀式であることや、地域によって様々な違いがあることを考えると、火葬を行うという仏教の思想と日本土着の慣習が混ざり合って自然発生的に生まれたものだと考えられます。
骨上げの作法
骨上げには作法があります。地域によって異なりますが、一般的な作法をご紹介します。
①火葬後
火葬が終わったらお骨の周りへ集まります。通常は、係員が指示してくれますので、その指示に従って遺骨を囲みます。喪主は骨壺を持ち、遺骨の頭部側へ立ちます。
②遺骨を拾う
骨上げは火葬場にて係員が用意した箸を使用し、二人一組で拾い上げます。拾い上げは故人と関係が深い遺族から順に行うのが一般的です。骨は、足元の骨から上半身の骨へ向かって順に拾います。具体的には係員が指示してくれますので、その指示に従いましょう。
参列者全員が骨上げを行っても拾うべき遺骨が残っている場合は、再び縁の深い順からペアで遺骨を拾います。
③喉仏の骨上げ
骨上げの最後に、喉仏の骨上げを行います。喉仏の骨上げは、喪主ともう一人の近しい親族がペアになり行います。喉仏は厳密にいうと軟骨ですので、実際に骨上げするのは第二頸椎と言われる骨です。この骨が重要視されている理由は、特徴的な形状にあります。第二頸椎は、突起や曲線の感じが、仏様が座禅している姿によく似ています。そのため、この骨を最後に大切に骨上げするという習わしが生まれたのです。
骨上げに使う箸
骨上げには、長さの揃わない箸や、素材の違う箸を一対にして使うのが通例です。
これには諸説ありますが、日常とは違うことを行う「逆さ事」に由来しているようです。逆さ事は人の死に関連することを日常とは違った方法で行うことで区別をする儀式です。
日常は長さや素材が揃ったものを一対として使うため、それとは違った箸を使うことで日常と“区別”をしているのでしょう。
但し地域によっては割り箸を使うこともあり、必ずしも逆さ事を行わない場合もあります。
分骨する場合の注意点
遺骨を分骨することが決まっている場合は、葬儀社の方へ予め伝えておき、骨上げをする際、分骨用の骨壺を用意してもらいましょう。念のため、火葬場の係りの方へ伝えておくとトラブルなく進めることができます。
東日本と西日本の骨上げ量の違い
骨壺へ入れる遺骨の量は、西日本と東日本で大きな違いがあります。東日本ではすべての遺骨を骨壺へ納めるのに対し、西日本では一部の遺骨のみを骨壺へ入れるのが一般的とされています。遺骨を入れる量が違うため、必然的に骨壺の大きさも変わってきます。
西日本では、骨壺へ納めなかった遺骨は火葬場の係員が回収し、共同墓地などへ納められます。すべての遺骨を骨壺へ納める東日本の人には驚かれることかも知れませんが、決して遺骨を乱暴に扱っているわけではありません。
このような違いは、1873年(明治6年)に出された火葬禁止令がきっかけだと言われています。火葬禁止令が通達されて遺骨は土葬することになりましたが、土葬場所の確保が難しくなり、条例布告から2年後に、早くも条例が廃止されてしまいます。そして、火葬禁止令が廃止された時から、遺骨や遺灰はすべて持ち帰らなければならなくなりました。
しかし、西日本では喉仏部分など一部の骨を重要視し、それ以外の骨は火葬場へ依頼するというスタンスを変えなかったため、東西で骨上げの方法に違いが出たと言われています。
骨上げは故人の尊厳を守る大切な儀式
このように、骨上げはお骨になっても故人を敬い、尊厳を守ろうとする思いが込められた儀式です。これはどの宗教であるかに関わらず、日本人の中に根付く先祖を敬う気持ちの表れであると言えるでしょう。