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浄土真宗とは

浄土真宗は、日本の仏教の一派で、12世紀に法然(ほうねん)によって創立されました。法然は「他力本願」という教えを唱え、信仰者が自力で救済を求めるのではなく、阿弥陀如来(あみだにょらい)の慈悲によって極楽浄土へと導かれることを説きました。法然は信じる心が重要であり、修行や善行による救済ではなく、ただ阿弥陀仏の無限の慈悲に依存することが必要だと述べました。この教えは、一般の庶民にも救済の道を開き、極楽浄土への入信を容易にしました。その後、法然の弟子である親鸞(しんらん)が教えを発展させ、念仏を唱えることによる救済を強調しました。浄土真宗は、その後も信仰者を増やし、日本における仏教の主要な宗派の一つとなりました。

浄土真宗の始祖、法然上人

法然(1133年-1212年)は、浄土真宗の創始者であり、鎌倉時代の日本の僧侶です。幼少期から仏教に親しんでおり、後に天台宗の寺院で修行を積みました。しかし、自己の努力による救済ではなく、阿弥陀如来の慈悲に頼る「他力本願」の教えを唱えるようになりました。

法然は「観無量寿経」を重視し、この経典に基づいて極楽浄土への往生を求めることを説きました。法然は人間の本性には無限の欠陥があり、自力で救われることは不可能であると主張しました。代わりに、阿弥陀仏の無限の慈悲によって信者が救済されるという信仰を強調しました。

法然はまた、浄土真宗の教えを一般の庶民にも開かれたものとし、修行や悟りを求める高い壁を取り払いました。そのため、庶民の信仰心を取り入れることで、救済の道を広く提供しました。法然の教えは多くの信徒を惹きつけ、後に弟子である親鸞(しんらん)によってさらに発展しました。現代でも浄土真宗は日本における主要な仏教の宗派の一つとして、多くの信仰者を持っています。

現在の浄土真宗の中には浄土真宗本願寺派、真宗大谷派の二派がありますが、合わせると日本で最も信者が多い宗派になります。中でも奈良県、滋賀県、岐阜県、愛知県、北陸三県など、西に多く存在しています。

 

 

浄土真宗の本山

本山は、京都市下京区にある西本願寺(にしほんがんじ)です。本堂である阿弥陀堂は国宝にも指定され、歴史のある建物となっています。

もともとは親鸞聖人の娘である覚信尼によって、1272年に廟堂(墓地)として建立されたのが始まりでした。その後1321年には親鸞聖人の曾孫である覚如(かくにょ)によって「本願寺」と名付けられ、寺院となりました。

しかし蓮如上人の代には比叡山延暦時からの迫害を受け、宗徒らによって破壊されてしまい、その後流転を繰り返します。

その後1591年に豊臣秀吉公から寺地の寄進を受け、現在の京都の六条堀川に移りました。

寺の本堂は、堂々とした規模であり、日本の寺院建築の傑作として知られています。境内には、信徒が参詣するための門や塔頭寺院が配置されており、信仰の拠点として多くの参拝者を迎えています。

 

浄土真宗の戒律

仏教では、仏に帰依する証として戒律を受持することが開祖である釈迦牟尼によって義務付けられてきました。厳しい修行を重ね、戒律を守ることが救済の条件となっています。これを守らない僧は集団生活を乱すものとして、罰が与えられる程厳しいものです。

しかし日本の仏教は比較的戒律が厳しくなく、浄土真宗は十三ある宗派の中でも特に戒律が緩やかです。救いを受けるための戒律という意味では、無戒と言って良いでしょう。これには、教えである「他力本願」が大きく関わっています。厳しい修行に堪え、念仏を唱えることが無くても、阿弥陀如来の力によって誰でも救われるというのが浄土真宗の教えであるからです。

そのため、出家の際に行う剃髪も義務付けられておらず、髪を剃り落としていない浄土真宗の僧侶も多く存在します。僧侶が肉や魚を食べたり、結婚することも今では一般的ですが、浄土真宗が始まりだったとされています。

 

 

浄土真宗のお葬式の特長

仏教の多くの宗派では、故人の霊は四十九日間この世とあの世の境でさまよい、十王の裁きを受けた後に浄土へ召されると考えられています。しかし浄土真宗には「往生即仏」の考えがあり、お葬式の特長もこの考えに基づいています。人は如来の慈悲を信じ、極楽浄土への往生を願うことで、この世での修行や悟りを待たずに、即座に仏になるとされます。

人は死と同時に全てが仏となるため、他の宗派で説かれている十王の裁きを受けることなく、これに関連する儀式が無いのが大きな特徴になります。

 

詳しくは、浄土宗と浄土真宗でご紹介していますので、参考にしてみて下さい。

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