お葬式の豆知識
お葬式の豆知識
天理教のお葬式
天理教とは、仏教でも神道でもなく、江戸末期に成立した一神教の新興宗教です。新興宗教のお葬式には、参列する機会が多くはありません。ここでは天理教とは何かについてと、そのお葬式についてご紹介します。
天理教の教祖
天理教の教祖は中山みき(1798-1887)で、現在の奈良県天理市に庄屋であった前川半七正信の長女として生まれました。生家である前川家は浄土宗の檀家であったため、みきは幼いころから浄土宗の教えに大きく感化され、熱心な信者となりました。
同じ村で庄屋を営んでいた中山善兵衛に十三歳で嫁いだあとは婚家での信頼も厚く、十七年間の間に一男五女をもうけます。
あるとき長男が足に原因不明の病気を患ったため、みきは祈祷のために幾度も「寄加持」を行いました。
天保9年10月26日の祈祷の際に加持代を務めたところ「親神」がみきに憑依し、みきの身体を神の社とすることを告げました。40年間庄屋の主婦として過ごしてきたみきが、41歳にして神のやしろとなり、その教えを伝える教祖となったのです。
天理教は1838年に設立されましたが、この日はのちに天理教の立教の日とされています。
天理教は教祖のことを「おやさま」と呼ぶのが特徴です。
天理教の教え
教祖である中山みきは、もともとは浄土宗の信者でした。しかし、天理教は仏教とは関係なく、また多神教の神道とも違い一神教で、神は「天理王命(てんりおうのみこと)」です。
天理王命は人間同士が助けあうことを「陽気ぐらし」とし、その姿を見て楽しみたいという思いから人間界を創り、その教えを「おやさま」である中山みきを通して広めたとしています。
陽気ぐらしとは、自己中心的な心遣いをやめて、他者の幸せを願い、助け合う心へと成長していくことを指しています。
このように、相互扶助を重要な教えとしているのが天理教の特徴です。
天理教の本山
天理教は仏教とは違うため、本山はありません。それに近いものは「ぢば」と呼ばれます。中山みきが生まれ育った奈良県天理市は人間を創造した始まりの地点とされており、「ぢば」と呼ばれます。
天理教の「死」とは
天理教では、人間のからだは神様からの借り物であるとし、心だけは唯一自分のものとしています。こういった考えから、天理教にとっての死は借り物である身体を親神に返し、次の身体が見つかるまでの間の準備期間と捉えて「出直し」と呼びます。
死は終わりではなく、出直しのための出発点であるというのが天理教の考え方です。死を「穢れ」と考える神道とは全く違った死生観と言えます。
天理教のお通夜・お葬式の流れ
天理教のお葬式は、仏式よりも神式に似た部分が多くあります。お通夜のことは「遷霊祭」または「鎮霊祭」などと呼びます。遷霊祭ではみたまうつしと言われる、故人の身体から魂を移す儀式を行います。借り物である身体を親神に返す意味で、非常に重要な儀式であり、この儀式があるお通夜はお葬式よりも重要と言えるかもしれません。お葬式のことは「発葬祭(はっそうさい)」と言い、それぞれの流れは以下の通りです。
●お通夜(遷霊祭・鎮霊祭)
斎主・斎員入場
斎主とはお通夜を進行する人、斎員はその助手や楽器を演奏する人のことを言います。
祓詞奏上(はらいのりとそうじょう)
祓詞(はらいのりと)が述べられます。
斎主遷霊祭詞奏上(せんれいさいしそうじょう)
「みたまうつし」を行います。お通夜・お葬式を通して最も重要と言われる儀式です。
献饌(けんせん)
親神様に供え物を捧げる儀式です。
玉串奉献(たまぐしほうてん)
斎主がしづめの詞を奏上します。
斎主・祭員列拝
斎主と祭員が列拝します。
遺族・親族玉串奉献及び列拝
喪主、遺族、参列者の順に玉串奉献と列拝を行います。
撤饌(てっせん)
親神様に捧げた供え物を下げます。
退場
●お葬式(発葬祭)
斎主・斎員入場
献饌(けんせん)
しのびの詞奏上
玉串奉献
告別詞奏上
祭主列拝
斎員列拝
遺族・親族玉串奉献及び列拝
撤饌
退場
お通夜とお葬式の大きな違いは、お葬式では「みたまうつし」を行わない点です。
天理教のお葬式の特徴
このように神式のお葬式と似た流れを持つ天理教のお葬式ですが、いくつか特徴がありますのでご紹介します。
●戒名料
仏式では戒名、神式では諡名(おくりな)を授かりますが、天理教でも神式と同様に諡名を授かります。但し仏式や神式と違って、お布施のようにお礼を渡す必要はありません。
●お香典
天理教のお葬式では、神式にならって表書きが「御玉串(料)」「御榊料」と書かれたものを使用します。また仏式同様の「御霊前」でも問題ありません。「御仏前」は仏式専用ですので避けるようにしましょう。お香典の相場は仏式と同様ですので、「お香典の相場とマナー」を参考にして下さい。
●数珠
数珠は仏教の道具であるため、天理教のお葬式には不要です。
●お悔やみの言葉は不要
天理教では死を「出直し」と考え、不幸ごととして捉えません。そのため、お悔やみの言葉はかえってマナー違反になるため、注意が必要です。