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華厳宗の成り立ち

華厳宗は修行を積んだもののみでなく、一切みな成仏できると説いた大乗仏教の一つで、唐の僧である杜順(とじゅん)によって開かれました。杜順が書き記した「華厳法界観門」は華厳の根本経典となっています。その後、華厳の第二祖である智儼(ちごん)によって拡充され、第三祖にあたる法蔵(ほうぞう)が天台宗や法相宗を取り入れ、華厳宗を大成しました。

日本では、金鐘寺(こんしゅじ)の僧であった良弁(ろうべん)が、華厳宗の僧であった審祥(しんじょう)を招いたことによって始まったとされています。

審祥については詳しい記録が残っておらず、新羅出身の僧とも、日本から新羅に留学した僧とも言われています。審祥は唐に渡って華厳宗の第三祖である法蔵に学び、その教えを日本に戻って広めました。

金鐘寺は東大寺の前身寺院の一つで、仏教に信仰の厚かった聖武天皇によって建立されたものです。審祥はここで3年間、華厳経の講義を行い、良弁とともに華厳宗の礎を築きました。

 

華厳宗の本山

華厳宗の大本山は、奈良県奈良市にある東大寺です。正式名称は金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)と言って、奈良時代に聖武天皇によって建立されました。

聖武天皇から東大寺の前身である金鐘寺を受けた良弁は、聖武天皇の勅によって東大寺の建立に尽力し、東大寺の開山(寺院を創始する人)となっています。

東大寺の本尊である盧舎那仏(るしゃなぶつ)は「奈良の大仏」としてよく知られる古都奈良の文化財の一つで、日本で七番目に文化遺産として認定されています。

 

華厳宗の特徴

南都六宗の一つである華厳宗は、宗教よりも学問の色合いが強く、その僧は宗教者と言うよりは学者という位置づけでした。そのため、教えに関しても他の宗派に比べると哲学的でたいへん難解です。

華厳宗には、一つの現象を現象そのものと本質の両面からみた上で、それを4種類に類別した「四法界」という世界観があります。

「事法界」人間が現象として捉えることのできる世界
「理法界」あらゆる現象に、全て因と縁が成立している世界

「理事無礙法界」事法界と理法界が共存している世界

「事々無礙法界」すべてが融合している世界

これは華厳経の第四祖にあたる澄観(ちょうかん)が立てた解釈ですが、言葉だけみると非常に難解です。つまりは、全ては別々に存在しているのではなく一つであるのに、それを見る人間の目によってまるで別の事象であるかのように捉えられがちであることを示し、もし自分の視野を広く持ち、無心になれば、世界のすべては融合すると説いているのではないでしょうか。

華厳経とは

華厳宗の経典である華厳経は、正式名を大方広仏華厳経(だいほうこうぶつけごんきょう)と言い、

インドから中国に伝えられたのは5世紀の初め頃です。

この頃の中国には様々な経典が伝えられましたが、中でも華厳経は釈迦の悟りそのものを示しているとされていました。第二祖である智儼(ちごん)、第三祖である法蔵(ほうぞう)、第四祖である澄観(ちょうかん)らの手によって「華厳思想」として体系化されていったのです。

その後、禅や密教の影響も受けながら、日本や東アジアにも広がっていきました。

 

お葬式をしない華厳宗

奈良仏教系の宗派は学問宗であるため、他の宗派のような檀家も存在せず、お葬式もあげません。また、檀家制度が導入された江戸時代よりも前にできたものなので、檀家もありません。これは華厳宗に限らず、奈良仏教系である律宗、法相宗も同様です。

但し、華厳宗がお葬式を禁じているということではありません。華厳宗を信仰している人がお葬式を行う場合は、浄土宗真言宗など別の宗派の寺院に依頼することになります。

同じ理由で華厳宗では墓地もありませんので、お葬式をお願いした寺院のお墓に入れてもらうことになります。但し宗派によっては他宗派を受け入れないところもありますので、そのような場合は宗派不問の墓地や霊園などに埋葬します。

また宗教儀礼をおこなわない「直葬式」「火葬式」で故人を見送るというのも、一つの方法です。

先祖供養や法要を行う場合も、お葬式と同様に他の宗派のお寺へ依頼をし、その宗派のしきたりに則って供養を行います。

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