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神道のはじまり

神道とは、古来からある日本独自の宗教です。

「八百万の神」という言葉がありますが、自然や万物に神がいるという多神教の思想の原型は縄文時代から弥生時代にかけて形作られたと考えられています。

山の神、海の神、風の神など自然を司る神から、作物の神、商売の神、学問の神、縁結びの神など、生活に関わる神まで様々の神がいると考えられています。

神道は日本人が自然と共に生きて来た歴史を大きく反映しており、自然に対する畏敬の念を神化させたものと言えるでしょう。

そのため「教え」と言うものは存在せず、仏教の「経典」やキリスト教の「聖書」などにあたるものはありません。全国各地で語り継がれてきた「神話」が神の存在を示すものであると言えます。

日本人は太古の昔から、豊作なら畑の神に感謝し、大漁なら海の神に感謝し、商売が繁盛すれば商売の神に感謝し、来年の恵みを祈って様々な祭りを行ってきたのです。

歴史上の記録では日本書紀の第三十一代用明天皇の条に「天皇は仏法を信じ、神道を尊びたもう」と記されています。これは神道について記された日本最古の文献と言えるでしょう。

日本に仏教やキリスト教が普及しても、思想がぶつかることなく共存して来れたのは、神道が多神教であるがゆえだと考えられます。

事実、江戸期までは神仏融合の思想があり、どちらも共存しながら人々の生活の中に入り込んでいました。明治新政府によって神仏分離令が発せられてからは公的に分離が義務付けられましたが、何かをお願い事をする時、「神様、仏様」と唱える習慣は今でも残っています。

神社の歴史

今のような神社ができて、人々がお参りするようになったのがいつからなのか、実はよく分かっていません。神様がいる場所を祀る習慣は古くからありました。自然の中に神様がいると考えられていた頃は、大きな木や岩などには神様が宿っていると考えられていました。そこを神聖な場所として、縄を張ったり石で囲いを作ったりして他とは区別していました。

神様を祀るお祭りを行うようになると、祀った木や岩の周りに祭壇を築くようになり、雨風をしのぐために建物が建てられるようになっていったと考えられており、現存する日本最古の神社は奈良県にある大神神社だと言われています。

神式のお葬式が少ない理由

このように日本独自の宗教であり、日本人の習慣に根付いた神道。しかし、お葬式となると仏式が9割を占めるのはなぜなのでしょうか?理由はいくつか考えられます。

 

神道では死を穢れと捉える

仏教では「死」は成仏への入り口であり、旅立ちと考えられています。これに対し、神道では死は穢れ(けがれ)とされています。

よく勘違いされることも多いですが、穢れとは、「気枯れ」とも書き、「汚れ」とは別の意味です。人が死や血を伴うときに気枯れる、つまり気が枯れて気力が失われている状態のことを指します。

そのため、出産や女性の月経なども穢れと考えます。血を不浄なものと考えているわけではなく、出血を伴う出産や月経も死と同様に気が枯れている状態、「穢れ」であると言うのが神道の独特な考え方です。

そしてこの「気が枯れる」状態はうつると考えられています。

 

例えば仏教のお葬式は寺院で行いますが、神式のお葬式は神社では行いません。これは、死という穢れを神聖な場所である神社に持ち込まないようにするためです。

 

檀家制度により、神道派が激減した

神式で行うお葬式は全体の1割以下とも言われ、ごく少数派です。これは、江戸時代に檀家制度がつくられたことが大きく影響しています。檀家制度がつくられる前は神道派がたくさんいましたが、檀家制度ができたことで、神道の人であっても仏式のお寺に属する必要があったのです。

明治維新後に檀家制度が廃止されて以降は、徐々に神道のお葬式を行うことができるようになりましたが、制限されている期間が非常に長かったため、神道派の人が激減してしまったものと推測されます。

 

このようにお葬式では少数派となっている神式ですが、神式でお葬式を行うことは可能です。詳しくは神式のお葬式を参考にしてみて下さい。

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