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仏教とは

仏教の発祥はインドです。釈迦牟尼(ゴータマ・シッダールタ)を教祖とする、インド、中国、日本、台湾などの東アジア全般で多く見られる宗教です。

仏教の教えの出発点は、この世は諸行無常であるという考えにあります。この世にある全てのものは無常、つまり続かなく、そのことに一喜一憂することなく心を安定させることが重要だというのが教えです。仏教は長い歴史の中で様々な宗派に別れ、その教えや思想にも少しずつ違いがあります。しかし、この「諸行無常」については仏教の根本的な考え方であり、全てはここから始まっていると言えるでしょう。

 

日本の仏教

仏教が日本に伝来したのは、5世紀の飛鳥時代だと言われています。諸説はありますが、百済の聖明王の使者が、当時の天皇である欽明天皇に仏像や経典と共に仏教信仰を記した上表文を献上したことが仏教伝来のきっかけとなったと言うのが有力です。

聖徳太子が大阪の四天王寺や奈良の法隆寺をはじめ日本全土に数多くの寺院を建立したことによって、仏教は広く普及するようになりました。

江戸時代には「寺請制度」が実施され、全ての人がいずれかの寺院の檀家になることを強制したため、仏式のお葬式が全国に広がったとされています。

神道とは

これに対し、神道とは、古来からある日本独自の宗教です。

「教え」と言うものは存在せず、仏教の「経典」やキリスト教の「聖書」などにあたるものはありません。全国各地で語り継がれてきた「神話」が神の存在を示すものであると言えます。

「八百万の神」という言葉がありますが、自然や万物に神がいるという多神教の思想の原型は縄文時代から弥生時代にかけて形作られたと考えられています。山の神、海の神、風の神など自然を司る神から、作物の神、商売の神、学問の神、縁結びの神など、生活に関わる神まで様々の神がいると考えられています。

 

神道は日本人が自然と共に生きて来た歴史を大きく反映しており、自然に対する畏敬の念を神格化させたものと言えるでしょう。

日本人は太古の昔から、豊作なら畑の神に感謝し、大漁なら海の神に感謝し、商売が繁盛すれば商売の神に感謝し、不作なら来年の恵みを祈って、様々な祭りを行ってきたのです。歴史上の記録では日本書紀の第三十一代用明天皇の条に「天皇は仏法を信じ、神道を尊びたもう」と記されています。これは神道について記された日本最古の文献と言えるでしょう。

神仏習合の歴史

日本土着の神教と海外から伝来した仏教は、本来思想が違うものです。しかし仏教が日本に伝来してから1,000年もの間、神道と仏教は共存してきました。歴史上、異なる宗教同氏は対立することが多く、多民族国家でもない日本において二つの宗教の思想がぶつかることなく共存して来れたのは、神道が多神教であるがゆえだと考えられます。

一部の神社は仏教の寺院と共存し、神仏習合と呼ばれる信仰様式が形成されました。また、一部の仏教寺院には神社が併設され、神道の神々と仏教の仏像が同じ場所に祀られていました。例えば、奈良県の春日大社は神社としての性格を持ちながら、多くの仏像が安置されており、神仏が混在した信仰が行われていました。また東京の浅草寺では仏教の本堂としての塔頭があり、同じ敷地内に神道の神社である浅草神社が鎮座しています。

「仏教」と「神道」は本来別の思想を持っていますが、それらが調和的に一体化されていたのです。

しかし江戸時代になると、キリスト教を禁止するために江戸幕府が「寺請制度」を実施し、全ての人間がいずれかの寺院の檀家となることを強制しました。神職であっても、菩提寺を持たなければならないとされていたほどです。

但し江戸時代の後期には神道が見直されるようになり、明治維新直後の明治政府によって神仏習合が禁止され、「神仏分離令」が発せられました。
明治政府はこれによって、神社から仏教の要素を排除しようとしたのです。

これには、明治政府の政治的な理想であった「王政復古」「祭政一致」のため、神道国強化を行う必要があったからだと言われています。

このように仏教と神教は歴史に翻弄されながら、融合や分離を繰り返して今に至ります。

 

次回は、仏教と神教の死生観についてご紹介します。

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